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カウンタ

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知多市立佐布里小学校


〒478-0015 
愛知県知多市佐布里五明26
Tel 0562-55-3139
Fax 0562-56-2985
Mail souri-s@ma.medias.ne.jp
 

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奈良時代
・梅干しを果物として食べていた。
・万葉集という歌集には、ハギの次に梅の歌が多かった。
・花と言えば、桜ではなく梅のことを指していた。


平安時代
・天皇の住んでいたところには、「左近の桜、右近の橘」と言い、桜と橘が植えられていた。桜の前は、梅が植えられていた。
・梅干しは病気にきく。


鎌倉時代
・兵士(戦で戦う人)の食料として梅干し入りおにぎりが配られていた。これをきっかけに梅干しが広まった。


戦国時代
・梅干し丸(がん)
・戦に行く時に持って行った。息切れや生水でおなかをこわさないようにするききめがあった。

江戸時代
・梅の品種が増えた。
・体に良いものとして広まり,多くの人に食べられるようになった。
・福茶として飲んだ。

明治から昭和
・軍隊ができると、さらに梅干しが広く食べられるようになった。梅干しは保存がきくので、よく食べられるようになった。
・国民に日の丸弁当がすすめられる。
・明治時代中ごろに佐布里に住む鰐部亀蔵さんが、桃と梅の木を接ぎ木して、佐布里梅をつくった。
・大正から昭和初期にかけて、佐布里池には梅が数多く植えられた。
・その後、戦中・戦後も佐布里における梅の栽培本数は増え続けたため「佐布里梅林」として、観光名所になった。